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悩める小説家です。
応募する賞、落選続きで、落胆していたのです。
そんな時、ある出版社から、サリーの一代記を書いて欲しいという依頼がきたのです。
小説家は、有頂天。
頑張って書きあげたのです。
それが、
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大富山佐吉は、東北のとある寒村の農家に産まれた。
佐吉の家は貧しかった。
しかも、兄弟が65人という大家族の64番目であった。
幼かった、佐吉は朝から夜まで働いた。
やがて物心がつくと、「このままではいかん。。。」と思ったのである。
そして、10歳になると一大決心をし、満州に渡ったのである。
満州に渡ると、当時、現地で手広く商売をしていた、「足袋屋」に小間使いとして働くようになったのである。
ある日、佐吉は、野良の犬を見つけるのである。
佐吉は、この犬を可愛がったのである。
当時、満州は満州圏と呼ばれていたが、この犬は満州で産まれたので、
満州犬。
と呼ばれたのである。
くわて、佐吉の佐をとって、「利口なわんこなって欲しい」という願いを込めて、満州犬佐利、通称、佐利と名付けられたのある。
佐利は、放浪生活が長ったためか、人に会うたびに食べるもの無いかと人の荷物をクンクン嗅ぎ回るのであある。
佐吉は、これを「だーしてくれんかのおお。」と呼んだのである。
やがて、太平洋戦争が泥沼化し、佐吉と満州犬佐利も過酷な運命を迎えるのである。
多くの犠牲者を出した戦争であったが、佐吉と佐利はなんとか日本へ戻ることができたのである。
佐吉は、満州での経験をもとになんとか、老舗の足袋会社の「足袋でござる。」に職を得たのである。
もちろん佐利も一緒であった。
佐利は、工場にいることが大変嬉しかったようで、毎日、佐吉と一緒に「足袋でござる。」に出社したのである。
やがて佐吉も嫁を得、佐利も同じく野良の嫁をもらったのである。
時は過ぎ、佐吉は子宝にも恵まれ、独立し、「足袋いかがでござる。」を設立したのである。
佐利も子宝に恵まれ、7匹の親になったのである。
その中に、とても歌のうまい子がいて、これが後の演歌歌手の「大富山サリー」になることはその時は誰も想像していなかったのである。
経営も順風満帆だった会社だが、洋服が流行しだすと次第に足袋の需要は減っていくのである。
「なんとかしなくてはならぬ。。。」
時、あたかも高度成長期。
新婚旅行も浸透し、新婚カップルはこぞって熱海に新婚旅行に行ったのである。
「これだ!」
佐吉は閃いたのある。
新郎新婦用に紅白の足袋を発売したのである。
その名も、
「めでたい旅」
しかし、これがまったく当たらなっかのである。
時代はもう足袋を求めていなかったのである。
辛い時でも佐利はいつも佐吉のそばにいたのである。
もし佐吉に先見の明があったら、足袋の技術を用いて運動靴、のちのランニングシューズを開発していただろうに。。。
悔やんでもくやみきれないのである。
やがて運動靴が流行するのである。
運動会でもかつての足袋は主流でなくなり、運動靴にとってかわったのである。
「社長!うちも運動靴をやりましょう!」
という社員の声にも耳を貸さず、佐吉は一途にに運動会用の足袋を作り続けるのである。
アシックスというメーカーが人気になると、ぱっくて、「あしいくつ?」足袋を発売するのである。
そんなことで、佐吉と佐利のお話、今日はここまで。
本当に続編書けるかな。。。。
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